2007年12月26日

次の10年に向けて(1)

このたび、5年半勤めた会社を辞めることにした。
2002年06月中旬入社で2007年12月末退社なので、約5年半ということになる。
5年間で会社は大きくなって、昨年には東京進出を果たした。
しかし、自分は規模が大きくなるにつれ社員を蔑ろ(ないがしろ)に扱う会社に疑問を持ち続けていた。
人に話せば労働基準法に抵触していないのか? と心配される待遇や、諸問題を報告しても口約束だけで実際に対処しない事務部署。
経費になるハズのものを「立て替えてくれ、後日請求書をまわしてくれれば支払いをする」と言われ払われなかったこともあった。
納得できないことで、明らかに会社が間違っている。
ずいぶんしつこく喰らいついた時期もあった。組織は変わる。悪いものは正しくなる。そう思っていた。
が、それが無駄だと気持ちの面で気づきだしていたのを抑えられなくなってあきらめてしまった。
あきらめてしまってから、会社は後ろ盾にならないと気づいてからの働きぶりは自分で振り返っても情けなくなる。
メンヘルの諸症状によくある居眠りをはじめ、それまで気を許せた相手にすら何も話せなくなるほどの落ち込み、それを助けてくれないのだから困ってしまう。
もうシニカルに笑うしかない。
経済的にも会社は助けてくれなかった。
生活残業が非難される風潮が強い昨今にもかかわらず、それ無しでは生活できない待遇で苦しい暮らしを強いられた。
それでも何度となくいつか報われる、と思っていた。
過去に会社の劣悪さを批判し、自分を評価していただき、評価にふさわしい待遇のオファーまで下さった諸先輩が何人もいた。
お誘いを受けるたびに「もう少し信じてみたい」とそれを断り続けた。
批判はうれしい反面、悔しかった。
「自分のいる会社はひどくない」と、反発したかった。
# 真理を突かれていたので当然そんなことは無理だった
先輩方に負けないだけの力で改革を起こしたかった。
しかし、それは最後まで叶わなかった。会社の根幹には敵わなかった。
もうやめよう、このままでは生活できない。
そう思ったときには既に家計に余裕が無かった。ダメもとで救済措置はあるか、と確認してみた。
問い合わせはメールで行ったのだが、その際に「返答しだいで会社を辞める用意をします」と付け加えた。
特に返事は無かった。救済措置が"ある"とも"無い"ともいわず、返事をしなかった。
こういう返事か。決心は付いた。
「今から会社を辞める場合、返却物とかは、どうしたらいいですか」
辞める用意の宣言から二週間ほど経ってから、そう問い合わせてみた。
問い合わせを受けた会社は驚いていた。事前に伝えてあることなのにどうしてそんなに驚くのかわからない。
後からの話し合いで聞いた言い分だが、こういうことは一番に所属元に教えてもらわないと困る、とのこと。
真っ先に伝えたはずだが・・・。
他にもこの会社らしい悪ふざけを聞かされたのだが、いちいち噛み付いてスルーされることに疲れてしまった。
一刻も早くこの会社から離れたい、そう思った。
この会社に足元を握られることが如何に経済的にマイナスであることか。
この会社の低レベルな悪ふざけに付き合うことが如何に憂鬱であることか。
諸先輩は間違っていなかった。
意識的に冷徹ではなく、純粋に子供で、幼稚ゆえの残酷さに苦しめられてきた。
もうこれ以上、それに耐えることは無いと思った。

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