2007年12月28日

次の10年に向けて(2)

自分の会社に期待をかけて裏切られた人が抱くねじ曲がった考え。その2。
自己負担も含めて、いつか会社がクリーンな経営を行うとずいぶん長い間信じていた
アホみたいに期待しつづけて、結局変わらなかったワケだけど、世の中そういうものなのか。
諸先輩がヘドロの河にどっぷり浸かっているところに救いの手を差し伸べてくれたのも振り払っていた自分が如何に間違っていたか。
さて、そんな会社や自分のDQNっぷりや痛い思い出をだらだら書き連ねることが目的では無いので本題に。
古い言葉に「十年一昔」という言葉がある。
プログラマに憧れて、仕事にして十年ぐらいになる。
たくさんの先輩、後輩、同期のエンジニアに出会って勉強させてもらった。
自分のよいところを認めてもらえたこともあれば、悪いところを指摘され何も言えなかったこともあった。
自分の考えでは絶対に間違っているとしか思えないのに、立場やルールに護られた人や組織をたくさん見てきた。
逆に、自分の正義が周囲も認める正義で「この人のようになりたい」と頷かされる社外の営業の人とかもいる。
自分の会社にいなくなってしまった(*1)のが残念。と言うか、その人を知ってる人はみんな早い段階で辞めていっている。それぐらい勢いのあるカリスマだった。
これからも勉強することは多いし、納得できないものに葛藤すると思う。
ただ、それだけでは無いと思う。
先輩や同期、ネット上でしか交流の無い人たちがいろいろ教えてくれたことを教えて、伝えていかなければならない。
そのためには、リアルな意味で倒れるわけにはいかない。死ぬわけにはいかない。
ここまで書いていて思い出したことだが、プログラマをやっていて悔しかった言葉のひとつにこんなものがある。
「こんな儲からない仕事辞めなさい」
仕事だったか、会社だったかは忘れてしまった。
自分のいた会社は、拘束時間が長い割に残業手当もボーナスも無いワケだけど、それを見て「プログラマ=薄給、過労死」みたいなイメージしかもっていない母親に言われた。
「好きな仕事なんだけどね」と浅めの反論をしたんだけど、まぁ、ね。
前回書いた先輩方のオファーと比較すると、そんなことを言われても仕方ない。
ネットで同年代の人を見てると、社長になったり本書いたり、コミュニティの勉強会でスピーカをやったり活躍してる。
好きな分野、得意な分野で活躍したい。活躍した結果を評価されたい。そういう欲求は自分にもある。
これ以上、馬鹿で幼稚な会社で理不尽な思いはしたくない。
次の十年もそんなところに時間と神経を捧げる気は無い。
そんなわけで、届くかわからん理想や泥臭い事情にまみれた決心をここに残しときます。

(*1)
自分の会社にも、正義感溢れる営業がいました。Hという人です。
実質、その人が営業部を引っ張っていました。
が、いつの間にやら辞めていました。
その人が辞めてから、営業部は覇気が無くなり、技術者を駒のように扱いだしました。
そのころから自分を採用してくれた営業部長も悪い意味で人が変わってしまいました。
この会社の裏の歴史だと思うなー。

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